【たまラ】常盤みどりとプリンシプルの謎【主題歌】
注意:ネタバレ有、映画視聴時のうろ覚え記憶からの考察ゆえ間違いもあるかも
映画【たまこラブストーリー】のエンディングでは
「こいのうた」
「プリンシプル」
という2曲が流れるのですが、なぜ2曲も流れたのか等を考察していきます。
ぶっちゃけ語りたいのは「プリンシプル」についてです
・こいのうたとはなんだったのか
ED前半部分は
「こいのうた」
歌詞:山田尚子
作曲:山口優
編曲:藤本功一
たまこの父である豆大が高校時代に、たまこの母であるひなこへ贈った曲「恋の歌」がOPで流れましたが
EDではたまこが歌っているわけです。
豆大が歌う場合は「恋の歌」と漢字表記ですが
たまこの場合は「こいのうた」とひらがな表記。
これはたまこの恋愛年齢が低いことを表しているのでしょう。
また映像はもち蔵がたまこを主役とした映画を撮影したもの、になってます。
OPでもち蔵が手に持っていた林檎がEDではたまこの手に渡ります。
林檎は重力、知恵の実のメタファーとして使われていますが、EDにおいてはもち蔵の愛がたまこに届いた、という意味が大きいでしょう。
だんだん大きくなる2つの影は幼い頃から、たまこともち蔵が寄り添って成長し、これからも寄り添い支えあう関係という事でしょう。
そして最後にタンポポの花が2輪。
タンポポの花の花言葉は多種あるがここでは「真実の愛」で良いと思います。
ぶっちゃけラブラブっぷりを見せつけられたってわけです(笑
・プリンシプルとはなんだったのか
EDの後半部分で流れる
「プリンシプル」
歌:洲崎綾
歌詞:愛鈴
作曲:藤本功一
編曲:谷口尚久
これはCMでも使用され、主題歌表記されてます。
「プリンシプル」の意味は「原理」「主義」「信条」とありますがこの映画では
アイザック・ニュートンの著作「プリンキピア」から取ったようです。
映画中でも惹かれあう恋心が引き合う重力をモチーフに表現されてますので。
で、謎なのですが、
なぜ歌手名義が「洲崎綾」なんでしょうか?
テレビシリーズのOPED曲の名義は「北白川たまこ(洲崎綾)」なのにですよ。
あと
なぜEDに2曲も流したのか?
2曲とも1番しか流れないので、やろうと思えば1曲で済んだはずなのです。
ED前半部「こいのうた」パートはたまこともち蔵のラブラブパートなわけです。
それに対して
ED後半部「プリンシプル」パートはタンポポの綿毛が1つだけ空を飛んでいき、さらには宇宙へと飛んでいく映像が流れます。
劇中でたまこが新しい未来への不安を「宇宙の入口に立ったみたい」と言っていた(と思う)ので宇宙は新しい世界の暗喩でしょう。
しかし、たまこともち蔵は別れていないし、2人で東京へ旅立つという表現だったならタンポポの綿毛は2つあってしかるべき。
では「別れ」てしまったのは誰か?
それは
みどりちゃんです
みどりちゃんです
みどりちゃんです
というわけで、常盤みどりちゃんです
たまこの幼なじみで恋愛感情とまでは言えないけど、友情以上の感情をたまこに抱いていた、あの常盤みどりちゃんです。
そもそも劇中で最も苦い思い(最愛のたまこがもち蔵を選んでしまうという失恋)をしたのは彼女であるし、
進路について一番ノープランなのは彼女であるし、
しかしながらとりあえずおもちゃ屋は継がず、商店街からは出ようと考えてるみたいだし
なにより「プリンシプル」の歌詞がみどりちゃんにピッタリ!
以下引用していきます
「無邪気な笑顔見ているだけで 延々はなし尽きないけど」
↑主観視点に当てはまるのは「みどり」「もち蔵」のどちらか。「たまこ」では無い。
「悲しいわけじゃないのに 泣きたい気持ちになるよ なぜ?」
↑史織に、もち蔵が東京に行くことを「さみしいんだ」と指摘されるたまこ。ならばたまこが主観なら悲しいはず。それに泣きたい気持ちどころかたまこはあきらかに泣いている。
教室でたまこと別れたみどりは友人のかんなに「ちょっといい顔してますよ」と言われ、「さんきゅ、かんな」と返事をするときに少し涙声になっている。泣きたい気持ちを耐えるみどりの方が歌詞に合っている。
「もう変わり始めている あざやかな宇宙が 巡りまわって 私を呼ぶよ」
↑たまこが「宇宙=新しい世界=商店街の外の世界」へ旅立つという描写は映画の中では明記されていない。しかも映画パンフレットの最終頁ではもち蔵と手を繋いで商店街へ帰る様子が描かれている。例え、外の世界へ出ていくにしても映画の更にアフターストーリーで決意させるはず。
みどりは「商店街のおもちゃ屋を継ぐ気はない」とセリフにあるし、幼なじみで小学校から一緒に過ごしたたまこと別れる決意をしたみどりにこそ未来は呼ぶのだ。
「風が吹き抜けたら 未来まで 駆け出す 新しい私をそう 誇れるように」
↑たまこのシーンに風は吹いちゃいない。みどりがかんなと校庭を走り、木登りを手伝ったシーンで風が吹いている。みどりは自分の事が嫌いだとセリフにある。
未来へと足を踏み出した、みどりはきっとこれから自分を好きになれるだろう。
というようにあらためて読むと、「プリンシプル」はみどりのテーマに思えてきました。
歌手名義が「洲崎綾」なのもそのためかと。
そしてEDでわざわざ2曲流したのも、たまこが表の主役、みどりが裏の主役であり2人それぞれにテーマソングがあるからですね。
正直、山田監督がインタビューで「青春の暗さも描く」と言ってたのに、たまこともち蔵からは幸福感が強くて、どの辺が暗さなのかな?とも思ったのですが
みどり視点で考えると、たしかに暗さがあるんですよね。
そもそも劇中でみどりの顔がアップで映る時って大体明度が低いんですよ。
たまこともち蔵の気持ちも知っているのに、ラストまで決して背中を押したりしないし(かんなと史織は背中を押してるのに)。
だからこそ最後に背中を押したときにかんなから「ちょっといい顔してますよ」って褒められるんでしょうね。映画の中で本当に大人になったのはみどりだったわけだ。
私自身はテレビシリーズの頃はみどりってあまり好きなキャラじゃなかったんですよ。
もち蔵の邪魔ばかりするし、レズっぽい描写もあるし、男女からモテるという設定も鼻につくし、
完璧人間として描かれたたまこに対してみどりは欠点ばかり目立ってたんです。
それも今思えば狙っていたんですね。
変わり者の多い「たまこまーけっと」で一番人間らしく表現された結果だったんです。
たまこに対して「言葉にできない感情」を抱くのが変人かんなではなく、普通の人みどりであるのも、「誰が誰に恋してもいい」というメッセージを普通の人である視聴者へ伝えるのに合ってますね。
更に飛躍的妄想をさせてもらうと、
たまこ=山田監督の理想像
みどり=山田監督の過去の姿
という見方もできます。
山田監督は学生時代の創作物は暗いものばかりで、自己顕示欲が強かったと語っていましたし。
もちろん山田監督が自分をモデルにキャラ作りをするようなエゴを押す人間では無いことは承知してます。上の解釈はあくまでそういったエッセンスも少量含まれてそう、という意味です。エッセンスね。
負のエネルギーを見せてくれるみどりちゃんが新しい世界へ踏み出す決意をするから
「たまこラブストーリー」は若者へのエール足りうるのですね。
がんばれみどりちゃん!(でもみどりちゃんに感情移入する人って社会人が多そう)
映画を観るとみどりちゃんを応援したくなるけど、正直心配だよ。
だって新しい世界って明るいとは限らないじゃん?
うさぎ山商店街がカラフルで暖かいからこそ、京都駅のリアル描写が怖ええ。
まじ東京ってどんな魑魅魍魎が住んでいやがるんだ。
みどりちゃんの今後が心配な方に朗報。
映画「たまこラブストーリー」のノベライズ版ではみどりちゃん視点のエピソードがあります!!
もしかしたらみどりちゃんの明るい未来が描かれるかも!?