『たまこラブストーリー』『たまこまーけっと』の考察を行うブログ

うろ覚えの記憶をたよりに考察しているので注意!!ネタバレ全開でもあります

【たまラ】2人は結局どうなったのか

 注意:ネタバレ有、映画視聴時のうろ覚え記憶からの考察ゆえ間違いもあるかも

 

たまこラブストーリー』の結末はたまこからもち蔵への「もち蔵大好き、どうぞ」で終わります。

爽やかで気持ちのいいエンディングですけど、結局どうなったのか、考察してみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶっちゃけ結ばれた。

スタッフロールがもち蔵がたまこを撮っている映像になっているし、

2つの影が寄り添うようにしながら大きくなっていくし、

タンポポ花言葉:真実の愛)が2輪寄り添うように咲いてるし、

(ちなみにタンポポの綿毛の花言葉は別離)

パンフレットの最終頁の絵は頬を染めた二人が糸電話を片方ずつ持ちながら商店街へ帰っていくイラストになってるし、

 

どこをどう見ても、2人は恋人同士となって

そして恐らく結婚して一生を添い遂げた。

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↑ED後、もち蔵が撮った映像になっている

 

 

でも私が気になるのは

Aパターン:もち蔵は東京の美大へ行き、たまこは商店街に残り遠距離恋愛になった

Bパターン:もち蔵の東京行きにたまこが付いて行った

Cパターン:もち蔵は東京へは行かず一生商店街でたまこと共に過ごした

の3パターンのうちどれになったのか?

 

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わたし、気になります!!

 

・たまこの哲学とは

テレビアニメ『たまこまーけっと』では誰もが挨拶しあうような理想化された古き良き商店街が描かれます。

そしてたまこは商店街住人全員の娘であり母親であり象徴(シンボル)のような女子高生。

テレビ版最終話でたまこは住人から外の世界を勧められるが、生まれて育った商店街に残ると決意を告げるのです。

 

ある意味、『変化をしない』ことがたまこの信条に見えるが正確には

・誰もを愛し助ける博愛精神(突然の来訪者であるデラちゃんを受け入れる)

・不幸は大量の幸せによって乗り越える

・理想を追求しあきらめない

・自分がひたすら努力をすれば良い

・母の愛した商店街を守る(冷たい商店街では意味が無い)

であり、『変化しない』ではなく、伝統を捨ててバレンタイン企画を立ち上げるなど努力し続けることで『温かい人情を変化させない』のです。

虎屋の精神みたいな感じです。

 

これらをあまりに頑なに行う故に鋼の精神を持つ女になってしまっているんですけどね。

 

 

 

 

 

・なぜ、たまこはもち蔵が好きだったのか

たまこの目標は幼い頃死んでしまった母である『ひなこ』のような人間になる事。

ひなこは誰でも包み込むような(お餅のような)愛情を与えていた。そして何より商店街を愛していた。

ゆえにたまこは商店街とお餅に拘っていたし、誰にもわがままを言ったり甘えたりなどを全くしない人間だった。つまり誰かを特別視しない人間であった。

 

しかし、幼い頃母の死に沈むたまこを救ったのがもち蔵であることを思い出す。

さらに母が父へのラブソングをテープに録音していたのを聞いて、自分も誰か(もち蔵)を特別に想うことを許せるようになる。

 

※ただ私はもち蔵がたまこを救ったから好きになったという理由はミスリードかと考えてもいます。むしろ、ずっともち蔵がたまこを好きでいつづけたから、という理由の方が、たまこシリーズの世界観としてあっているでしょう。ヒーロー性よりm一途さや純真さや誠実さというものが価値とされる世界のはずですから。

 

そしてたまこはもち蔵に「なんで東京に行くんだ(おこだよ)」「どうして変わっちゃうんだよ(おこだよ)」「好きだ」という本心を告げます。

たまこにとってもち蔵は唯一わがままを言えて甘えられる存在になったわけです(なって欲しがっている)。

たまこの哲学である誰もを平等に愛する『博愛』に変化が起きて

 

もち蔵だけは不平等に好きなんです。

 

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↑テレビ版にて王子様に外の世界へ連れて行かれるのを引き留めないもち蔵にやきもきするたまこ。この他にもたまこがもち蔵を好きなのでは、という伏線はあったんですよね

 

 

 

 

 

 

・たまこは大人になったのか

たまこは世間一般で認識される高校生から大人への成長を遂げたとは言えません。

たまこは映画でやっと誰かを特別に考えられるようになっただけです。

喫茶店のマスターは「人生の苦みは、味わいである」と言いますが、たまこは結局もち蔵と結ばれていますから、挫折や諦めを経験していないんですよね、映画では。

ブラックコーヒーも正確には飲んでいるカットはありません。

 

ただそもそもテレビ版で(メンターの役割を持つ)マスターが「さよならだけが人生、ではない」と言っているとおり、別離や挫折や諦めといったものが成長では無い、というメッセージを持った物語だったんです。

映画版でテレビ版を反故にするのはありえないですから、たまこは自分の哲学を維持したまま、ひとまわり大きくなった、といったところでしょうか。

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↑EDテロップと同じ服装のCDジャケット。髪形など少し大人っぽくなっているがイノセントさは失われていない

 

ちなみに世間一般で認識される高校生から大人への成長を遂げた人物は常盤みどりちゃんです。お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

・たまこはもち蔵に何を望むのか

たまこのもち蔵への気持ちは簡単に説明できるものではないという前提で書くが、

たまこは重度のマザコンであり、その対象が母親からもち蔵に変わったのである。

お餅=母という暗喩が、お餅=もち蔵と変化していることが、何度も示されている。

そもそも、もち蔵のキャラクター自体が母性的であることも好きになった理由のひとつだろう。

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↑もち蔵を追いかけるたまこはあまりに弱弱しい。こんな弱さを見せられるのはもち蔵と死んだ母だけだ。

 

※念のために書きますが、たまこはもち蔵が母に似ているから好き、なわけでは無いですね。もち蔵はたまこにとって分身のような存在でもあり、自分の理想に協力してくれる同士でもあり、日常の象徴でもあり、同じ過去を共有してくれるアルバムでもあり、言葉では説明しきれない存在なのだと思われます。ただもち蔵に父性ではなく母性を強く求めているのは確かだと思います

 

たまこはもち蔵に望むのは

離れずにそばにいてくれること。

友人から恋人になる変化は受け入れていても、離れ離れになることは受け入れていないはずです。

するとBパターンかCパターンになるわけですが、たまこが商店街を離れるのは哲学に反しますから・・・

 

答え:Cパターン?

後日、もち蔵のメンタリティと京都アニメーションのメンタリティについても書こうと思いますが、

結論としてはCパターンとする予定です